思い出を「選んで残す」脳の仕組み アストロサイトが記憶の安定化スイッチに

理化学研究所と九州大学の研究グループが、強い感情を伴う体験や繰り返された体験が記憶に残りやすい理由を、脳内のアストロサイトという細胞の働きから明らかにした。

思い出を「選んで残す」脳の仕組み アストロサイトが記憶の安定化スイッチに
最初の恐怖体験(左)とその体験を思い出す際(右)に活性化するアストロサイト集団(白く見える部分)の分布。思い出すときに活動するアストロサイトは最初の体験時に比べて明らかに多い。スケールバーは500マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)。(プレスリリースより)

記憶はなぜ選ばれて残るのか

この研究成果は2025年10月15日に『Nature』オンライン版に掲載された。すでに発表から時間が経っているが、記憶の本質に迫る重要な発見として、ここに紹介する。

私たちは日々多くの出来事を経験するが、その全てが記憶として残るわけではない。特に「強い感情を伴う体験」や「繰り返された体験」が記憶に残りやすいことはよく知られている。

これまでの研究で、記憶の痕跡は特定の神経細胞群(エングラム神経細胞)に残ることが明らかになってきた。しかし、神経細胞の活動だけでは記憶の安定化メカニズムを完全に説明することは困難だった。

理化学研究所 脳神経科学研究センター グリア-神経回路動態研究チームの長井淳チームディレクター、出羽健一基礎科学特別研究員、加瀬田晃大研究パートタイマーⅠ(日本学術振興会特別研究員DC2)、九州大学 生体防御医学研究所の増田隆博教授らの共同研究グループは、アストロサイトと呼ばれるグリア細胞(神経細胞を支える非神経細胞)の一種が、記憶を選別し安定化させる重要な役割を果たしていることを発見した。

繰り返しの体験で活性化するアストロサイト

アストロサイトは、長らく神経細胞の隙間を埋めるだけの存在と考えられてきた。神経細胞のように電気信号を発しないため、活動の可視化が困難だったのである。近年の研究により脳内の代謝や神経活動の調節など、多様な機能を担うことが明らかになっているが、全脳レベルでの活動追跡は技術的な課題として残されていた。

研究グループは、マウスを用いた恐怖条件づけ実験で、アストロサイトの活動を全脳レベルで可視化する新たな技術を開発した。細胞の活性化に応じて発現が誘導される最初期遺伝子の一つであるFosを利用することで、どの細胞が体験に反応したかを正確に追跡できる。その結果、初回の恐怖体験時にはアストロサイトの活動はほとんど見られなかったが、翌日に同じ体験を思い出す(想起する)際には、扁桃体を中心とした複数の脳領域で特定のアストロサイト集団(アストロサイト・アンサンブル)が強く活性化することを発見した。

研究の概要(プレスリリースより)

さらに詳細な解析により、初回の恐怖体験後、アストロサイトはノルアドレナリン受容体(α1およびβ1受容体)を増やし、数時間から数日にわたって次の体験に備える「準備状態」に入ることが判明した。この準備状態にあるアストロサイトは、再体験時にノルアドレナリン神経活動(感情の情報)とエングラム神経活動(詳細な記憶の情報)を同時に感知することで活性化し、記憶安定化に関わる分子を産生する。

「記と憶」の視点:脳は記憶を編集している

この発見は、記憶が神経細胞の活動だけで決まるのではなく、アストロサイトに残る分子レベルの「痕跡」が複数日にわたって維持され、繰り返しの体験を選択的に記憶として安定化させていることを示している。

神経細胞だけでなくアストロサイトにも記憶の痕跡が形成されるという事実は、脳が記憶を「編集」していることを意味する。アストロサイト・アンサンブルは、「強い感情を伴う体験」や「繰り返された体験」を感知し、次に類似の出来事が起こった際に分子スイッチを入れる準備状態として存在している。

この仕組みは、「間隔を空けた学習」が記憶の定着に有効である理由を、細胞・分子レベルで説明する新たな手がかりとなる。一度の体験では記憶が定着しない場合でも、時間をおいて繰り返されることでアストロサイトが準備状態を維持し、再体験によって記憶が強化・安定化される。

さらに、この仕組みの解明は、記憶との付き合い方そのものを問い直すきっかけとなる。PTSDなどトラウマの記憶が過剰に安定化される疾患では「記憶を和らげる」治療が、認知症などでは「重要な記憶を選んで残す」治療が可能になるかもしれない。脳が本来持つ記憶の選別機能を理解し、それを支援する——そうした医療の形が、アストロサイト研究から生まれる可能性がある。

情報源: 思い出を「選んで残す」メカニズムを解明 | 理化学研究所


English version is available on Medium: How the Brain Selects Memories to Keep | Ki to Oku Annex